■ 山登り雑感2006.9.27

住職という職業柄、土曜・日曜が空いていることは一年を通して少ないのが実情です。七年ほど前に地元の「山の会」に入ったものの、その会の山行は当然のことながら土曜・日曜となります。ですからどうしても一人で山に行くことになってしまうのです。ただ今年の一月下旬は土曜・日曜が空いていて一週間の間隔で二度も山の会のメンバーと一緒に山登りが実現しました。一人で登るのと違ってリーダーに付いていけば山頂に立てるのだから非常に気楽ですし、登山口までは車の中で皆とワイワイいいながら行けるのですからとても楽しいものでした。ただ皆と一緒に登っているうちに考えさせられるところがありました。
 それは私は先頭に立って歩けない、ということでした。その理由がどうしてなのか、はっきりしなかったのですが、二度目の山行を終えて、登山記をパソコンに打ち込んでいる内におぼろげながらその理由が解ってきたのです。
その一つは当然のことながら他の会員よりも体力がないということ、この点は以前から承知していることでしたが、事実その通りなのです。二つ目の理由は、後ろから人が付いてくると落ち着かないということでした。後方の人と話を余儀なくされるのです。近くに友が居ればどうしても話をしなくてはならない、楽しみと同時にこれが一種の苦痛なのです。更に自分のペースで登れないということも勿論です。こうした理由で私はいつもどん尻を歩く羽目になるということが解ったのです。
自分のペースというのは、登山口から四十分ほど登って、汗をかいたら一服する。それからは十五分ないし二十分おきに一〜二分の休息を取る。一時間半登ったら十五分の大休息を取る。これが私の登山ペースなのです。ところが山の会のメンバーのペースは一時間登って最初の休息をし、それから四十分登って十分の休息、これを繰り返すのです。山頂に到着する時間はさほど変わらないわけですが、このペースは私にかなりきついのです。だからどうしても最後尾になるのです。しかし後ろから仲間が登っていく姿を見るのは楽しいことでした。ある一定の間隔をおいて次々と登っていくその姿は、体の動きに無駄が無く美しいものなのです。
皆から遅れること百b余、仲間の声は全く聞こえません。ゼイゼイと喘いでいる自らの息が聞こえるだけです。苦しいこと限りないのですが、その中に一種の心地よさがあるのです。こうした所は仲間と話をしながら登ったのでは味わうことが出来ない静寂だと思うのです。そうしてふと次のようなざれごとを思いました。
「人間、いまわの際には誰でも息が乱れるようだが、そのとき山の急登で喘いでいるあの感覚を味わうことができたら幸せだな」と。

   平成18年2月



CGI-design