■ 剱沢小屋に泊まって2007.9.17

9月4日仙人池に行く途中に剱沢小屋に泊まった。夏休みが終わり紅葉がまだ早いこの時期は山小屋が暇になる。それでも夕食の時に数えてみたら30人程が泊まっていた。 この小屋の正面にはかの剱岳がある。宿泊者の80パーセントは剱岳往復を目指す人だ。夕食をしながらの会話を聞いていると、これから剱を目指す人と、下りてきた人との対比が面白かった。これから剱を目指す人には緊張感があるし、登頂を果たして来た人は一様に開放感に溢れている。しかし共に山を語り合っている姿は山小屋ならではの雰囲気だった。
 少し驚いたのは倶楽部ツーリズムがガイド付きで登山者を連れてきていることだった。今まで何度か山小屋に泊まったが、ツアー客と一緒になったのは初めてだった。その団体は9人で女性の添乗員(山岳専門)が付き、さらに登山ガイドが付いていた。添乗員に話を伺うと、カニの横バイ、縦バイではもう一人のガイドが付いて3人でサポートしながら山頂を目指すということだった。あの場所にサポートが要るんだろうか、とも思ったが違和感を覚えたのはそのことではなかった。
 9人の中高年の団体は賑やかだった。それは登頂した充実感もあったのだろうが、山に向かうその姿勢にいささか疑問を抱いた。つまり「山頂に登った」というそのことだけが目的で、その途中の光景を味わっているとは思えなかったからである。
今回改めて小屋から剱岳を眺めたが、その姿は神々しかった。古人はその偉容に畏敬の念を抱くと同時に、こうした山に立ち入ることを恐れていた。それは自然に対するか弱い人間の慎みだった。            
 剱岳が初登頂されたのは1907年(明治40)、丁度100年前である。勿論それまでに何人かは登っているが、測量登山を果たしたこの年を、剱岳の近代歴史上の初登頂としている。その後多くの登山者が登ることになったが、室堂からではなく、藤橋(現在の立山駅)からだった。そこから弘法或いは追分までが一日の行程で、室堂に着くのに二日がかりだった。そこから山頂往復を果たして室堂に泊まり、下山するのだから立山駅からでさえ5泊ないし6泊の行程だった。だから山頂に立てる人は自ずから限られていた。立山・雄山登山は古くから行われていたが、剱岳は不可侵の山として聳えていたのである。立山・黒部開発によって室堂までバスが開通したのが昭和35年(38年?)で、これ以降剱岳は一部のプロ登山者から一般人に解放されたのだ。
 こうした歴史を思いながら剱岳を眺めた時、私はふと「この山はみだりに登ってはいけない山だ」と思った。人間の性としてどうしても登りたいのなら、それは慎みと畏敬の念を抱きながら、粛々と登らなければならない、そう感じたのである。中高年の人たちがガイド頼りにワイワイガヤガヤとした雰囲気で登っていたのでは剱岳に対して申し訳がない。
山に向かうということは、自然の霊気に触れることではないのか。その霊気を感じたとき、人は自ずから謙虚になるものだろう。現代人は便利さと引き替えに、自然との関わりを捨てたのかも知れない。つまり自然に対して不感症になったのだ。その結果、山に登りながらも世間をそのまま引きずってる。そこには畏敬の念も慎みもない。ただ登って、しゃべって、飲んで、下るだけだ。その結果人間は山に登ってさえも、その実感を持つことが少なくなった。
 人生はそれほど長くはない。どちらかといえばもう先が見えている。その限られた時間の中で、山に向かえる時間は微々たるものである。せめてその時ぐらいは世間を離れ、静寂な自然の息吹を十二分に感じ取りたいと思う。そうしてその息吹を次の世への土産にしたいと願うのである。

 平成19年9月15日




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