■ 人はなぜ山に登るのか2007.10.5

 この質問に多くの登山者が答えているが、そのどれもが腑に落ちないものばかりだった。私自身もそれについて考えてみたが明瞭な答えは引き出せなかった。しかし今回、室堂から真砂沢ロッジの山行を終えて、雷鳥荘まで下りてきた時、同行の一人が剱御前小舎を指さしてこう言った。「人間の足ってすごいですね。あそこからここまで歩くんですからね」これを聞いて、私は次のような文章を思いだした。
【昭和初期に山に登るといば、何時間も汽車に乗って片田舎の駅に降り立ち、まずそこから登山口まで歩くのだ。その日は近くの民家に泊めてもらい、翌日から山に入る。何日間かの山行を終えて下山すると、また駅まで歩き汽車に乗って家路に就く、これが常だった。そうした中である時、帰りの汽車を待ってホームに立っていると、彼方遠くに登った山が見えた。
『あそこまで歩いたんだ』その沸き立つ実感は何物にも代え難いものだった】
うる覚えの文章で、誰がどこに書いたものなのか全く手掛かりはないが、人はなぜ山に登るのか、というその答えがここにはっきりと示されている。人は山に登って自らのすばらしい力に震えているのだ。そうしてそこから励まされているのだ。別な言葉に言い換えれば、「人間の足ってすごいですね」というその驚きなのだ。「人はなぜ山に登るのか」それに対してこれほど明瞭な答えがあるだろうか。
 これを押し進めていくと、「人が生きているのは何のためなのか」という問いに置き換えられる。人は生まれ、勉学し、就職し、結婚し、家庭を築き、そして老いを迎える。そうした中で一体何を生き甲斐としているのだろうか。それに対する明快な回答は見いだせなかった。しかし「人はなぜ山に登るのか」という質問に対する回答を得て、ハタと気づいたのである。「人が生きているのは自らに秘められた力に感動し、そこから更なる力、励ましを得て、それを喜ぶことが出来るからなのだ」と。スポーツに興じ、研究に没頭し、仕事に精を出し、家族を育む、そうした行為の源は、自らの力に驚き、そこから励まされている姿なのだと今の私には映るのである。
     平成19年10月20日





CGI-design