■ 別れの感情2012.12.15

 今秋池ノ平小屋に泊まった。翌日早朝池ノ平を発つとき、小屋の人たちが送って下さった。
「お世話になり有り難うございました。また来ます」
「またお会いしましょう」
そうした挨拶で別れたのだが、いつものことながら侘びしさが込み上げてくるのだ。  別れの侘びしさ、悲しさとは一体何に起因するのだろうかとその時思った。「別」の字源は牛や豚の肉を刀で捌いてバラバラにする、という意味がある。今まで一つであったものを首や胴体、足などど「別ける」のが「別れ」の字源らしい。そうすると字源通りに解釈すれば、別れの侘びしさとは、小屋主たちとの一日の団欒を楽しみ、うち解け、一つになっていた。その一体感が「別けられる」「別々になる」「離ればなれになる」そうしたことへの辛さと、愛着の感情のようだ。山小屋での一日、二日は限りなく楽しい。歩いてきたことへの充実感とその風景、風のそよぎ、小屋の佇まい、そこに集う人たち、そのどれをとっても新鮮で麗しい。別な言い方をすれば桃源郷なのだ。そうした桃源郷を目指す心が私にあり、その桃源郷から別けられる。これが辛さとなり侘びしさとなって湧き起こる。どうもそのようなのだ。
しかしよくよく考えてみれば、自ら漸く見つけたその桃源郷は一日・二日間だからこその理想郷であって、そこに一ヶ月二ヶ月と住んでみればまた世間が出現するに違いない。目的の山を定めて計画を練り、それを実行して家路に就く。その一連の流れは、山行を通して桃源郷を垣間見てその別れを惜しみ、そこに優しさと厳しさとを凝視することにあるようだ。そうしてそれらの感情の交錯から詩や歌や絵が自ずから生まれてくるように思えてならない。

平成24年9月8日 記


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