■ 登山雑感2012.12.15

 登山者の目指すところは大雑把に分類すると二つのタイプがあるようだ。一つにはピークハンターとして多くの山を登る人。二つには桃源郷を山に仮想してそこに登る人。この二つのタイプがあるように思えてならない。                     山小屋で多くの人に出会ったが、百名山を目指す人は多かった。「あと幾つを残して百名山踏破です」とか「○年で百名山登頂を果たしました」といった話は、20人に1人の割合だ。私はこうした話を聞く度に違和感を覚えていた。なぜなら日本の山には数え切れない三角点がある。その中で深田久弥が「百名山」を著した。すると我も我もとばかりにその百の山を登るようになった。これを例え話に置きかえると次のようになる。或るノーベル賞を取った著名な人が「私の心に残る名著百冊」とした本を出版した。するとそれを知った人はその百冊の本を読めば、ノーベル賞を取った人の頭脳と同じレベルに達すると思い込み競争して読んだ。このようになる。かなり馬鹿げた話で主体性がどこにもない。山を登ろうとするのにその山すら自分では決めることが出来ない。これが今日「山ブーム」と呼ばれている実情だ。しかしそうした人を非難することは勿論出来ない。人それぞれの生き方があるのだから。
これとは別に山を楽しみ、そこに一時の理想郷を仮設する登山者がいる。こうした人も当然山頂は目指すものの、山に分け入って求めるものは山頂ではなくて桃源郷なのだ。現実生活の中でそれを見いだすことは不可能に近い。そこで深い山に分け入れば目にする所は正に桃源郷だ。しかもそうした所に小さな小屋がある。10人ないし20人の登山者を待つオンボロ小屋があったとすれば申し分がない。そうして小屋主は登山者には想像もつかないほどの山に対する知識と経験を持つ。それを誇示することもなくボツボツと謙虚に語る。もしもそのような所があったならば、登山者は喜び感激するに違いない。なぜなら自らが画いた桃源郷がここだからだ。

 元より人間生活に登山は必要なかった。日々の生活に追われて農耕するだけで精一杯だった。狩猟する人もいたがそれも生活の糧を得るために、やむを得なかっただけだ。だから山は神聖なものとして人々から崇められてきた。豊富な水、山菜、兎や熊といったものを提供してくれる恵みの源だったからだ。
ところが明治から大正期になると近代化が進み食料が多く手に入るようになった。また諸外国との交易によって国力が増大した。これによって村落中心の生活様式は崩れだし東京・大阪といった都市が形成されるようになった。そうして次々と都市は規模を増大していった。これによって失われた自然は計り知れない。しかしそれに異論を唱えることは出来ず、近代化は拍車をかけて国内に浸透していった。
ここに至って自然とは何かを問う人たちが出てきた。その源は産業革命がもたらした自然と人間との乖離だったようだ。産業革命によって自然は破壊され続けた。大地の木は伐採され、それによって洪水が頻繁に発生し、川や海は汚染された。そこで人は自然を見直すことになったが、今更「自然に帰れ」といったところで帰る処はない。しかも近代化を止める手だてもない。「それならば自然が残る山に分け入ってその息吹を感じ取り、人間本来の姿に立ち戻ろう。例え山へ入っている時だけでも」良識ある人たちの中からこのような思いが醸し出されたのは、これまた自然の成り行きだろう。
 自然を崇め自然の恵みを享受し、ささやかな生活を送る。こうした往古の営みを理想としたのが登山の原形なのではないだろうか。富裕層から始まった登山は近代化と相俟って瞬く間に広がったが、ここでまた人間は競争世界を出現させてしまった。高さを競い時間を競い数を競う。挙ってその競争は激化し登山人口は一気に増えた。そうすると本来の登山は忘れ去られ、山にさえも「近代化」が出現することになった。その象徴が山小屋の規模拡大だ。

 明治・大正期に建てられた山小屋は狩猟仲間がその目的のために建てたもので、4、5人が寝泊まり出来る規模だった。狩猟生活の場としての山小屋は登山者の増加によって10人から20人規模の小屋となったが、年間に利用する人は多くても500人に満たなかった(昭和20年代の剣沢小屋)。その小屋で繰り広げられるのは都会の青年と木訥な猟師との交流なのだが、出会いを重ねるにつれて、お互いが信頼し尊敬できる間柄となった。百瀬慎太郎の、「山を想えば人恋し、人を想わば山恋し」の名句はこうした状況下で生まれた。
 ところが急速な近代化の煽りを受けて山小屋は経営の場と変容し、その拡大は300人から千人を収容する規模となった。こうなると登山者と小屋主との会話は成り立たず、小屋主自身も山を知る必要がなくなった。山を知るよりも経営に重きを置かざるを得ないからだ。こうして桃源郷は山から一つまた一つと消えていった。自然の中に慎ましく存在していた山小屋は、逆に自然破壊の象徴とさえなったのだ。

こうした経緯の今日、往古の桃源郷はないのかというとそうでもない。探せばそうした小屋はまだ現存するのだ。 登山者が何を求め、またどのような登山を目指そうともそれは自由だ。人間としてのルールと節度を守った登山であるなら問題はない。ただ時折登山の原点はどこにあるのか、それを問いただしてみるのも必要な事のように思えるのだ。

平成24年10月18日 記


CGI-design