■ 私と般若心経  第1話2014.12.21

 摩訶  

20年前の、テレビの内容です。
この日は40代の萩生田(はぎうだ)千津子さんという俳優さんをインタビューしていました。30代になって徐々に演劇が認められ、杉村春子と共演するほどになった。この女優さんが交通事故に遭う。下半身は全く効かなくなってしまった。絶望に暮れたが「萩生田さん、あるだけのものでやっていこうじゃないか」
 このような励ましを受けて彼女は立ち上がるのです。そうして一人舞台の語り女優を目指したのです。下半身麻痺、さらに肺の機能も低下しているので大きな声が出ない、苦難の末に、漸くにして舞台に立つことができた。足には掛け物をして椅子にもたれ、上半身だけの演技と声で童話を語ったのでした。
不安で一杯だった初舞台が漸くにして終わった時、何を思ったかというと、「生きていてよかった」だったのです。そしてまた次のようなことを話すのです。
「五体満足であったときには、歩いたり、声を出したり、歌ったり、そうしたことはごく当たり前のことだった。しかしいったん事故に遭ってこのような体になった。俳優としての夢も失われ、今まで私が努力し積み重ねてきたものが、一遍に奪われてしまったんです。・・・でもこうして初舞台が踏めた。その後も各地で舞台をこなしている。わたしはたくさんのものを失ったんですが、失ってみて初めて見えてきたものがあるんです。・・・杉村春子さんが以前『演技は線でするものよ』と言ったことも、この頃になって理解できるんです。演技はいろんなものを知って、覚えて、身につけて、それを演じるんではないんですね。自分というものを捨てて、捨てて、捨ててしまったところに自ずから現れるもの、それを引き出すんですね。それが演技だってことが解ってきたんです。・・・私は事故によっていろんなものを現実には失った。でも一番大事なものは何にも失っていない、そう思えるんです。・・・今は感謝なんです。感謝があるだけなんです」
 私はこの話を聞いていて、不生・不滅・不垢・不浄・不増・不減この一節を思い起こしました。根本の命、命の根源にあっては、命はなくならない。生まれもしない。増えたり減ったりするものでもない。般若心経のこの一節は「輝ける命は眼前にあふれているばかりだ」との驚きと事実を示しているのでしょう。萩生田さんはその命を垣間見たのです。摩訶は大の意。


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